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予知と霊能者

予知と予測

ある野球選手に話を聞く機会があり、その際に不思議なことを言われました。グラウンドで野球の試合を見ながらその選手は「あのピッチャーが投げる次の球は打たれる。長打だな」すると、バットの芯を食った良い音とともに球はレフトの頭上を越え、二塁打となりました。何故わかるんだ、と聞くと、「精神を集中するとピッチャーの投げようとする球筋が見える。バッターが打てるような気がするんだ」と言います。納得がいかず、深く聞いてみると、つまりは、アウト数、出塁の有無、カウント、ピッチャーの疲労度、素振りの時のバッターのスイングの軸がブレていないことなどのファクターを考え合わせ、ピッチャーがストライクを投げる投球のところで「打たれる」と言ったのでした。つまり、過去のデータに基づいた予測だったのです。一瞬、超能力的あるいは霊能力的なことを考えてしまいましたが、実は確率論でした。
これを”予測”と言います。過去のデータを基に傾向分析し、結果を導き出すことです。しかし、その結果は多くの場合パーセンテージで表され、傾向イコール結果ではありません。それでは、予知はどのようなものでしょうか?それは、確率論ではありません。つまり、100%正解するのです。

予知の事例

ところで、予知の事例は古くから多く報告されています。民俗学者柳田國男の遠野物語に、このような話が伝わっています。
ある武士が、物見山(遠野市にある山)を呑んだ夢を見たそうです。気になるので、大徳院に夢占いをしてもらおうと出かけると、途中で仲間の武士に出会いました。夢の内容を話すとその武士は、「それは大変だ。物見山を呑んだら腹が裂けてしまう」そう言って笑ったそうです。さて大徳院に着き夢占いを依頼すると、「この夢はすでに誰かに占われています。ですから、当方では占いはできません」という回答を得ました。
物見山を呑んだ夢を見たこの武士は、その後切腹して自害したとのことです。まさに、腹を裂いて亡くなったのでした。その武士は自らの切腹を、自らの夢で予知していたのです。行き会った別の武士は冗談交じりで回答しますが、このお話で驚くべきは大徳院の返答です。
“すでに誰かに占われている”、占い済みの夢は判断できない、と回答したことです。つまり、大徳院は夢占いのプロフェッショナルであったと考えられます。現代における電話占いのような、霊能者的な役割を果たしていたのです。

予知と虫の知らせ

俗に虫の知らせというものがあります。予知の一種ではありますが、決定的に違う部分があります。それは、”自分や家族、縁者にふりかかる悪い未来を予知する”ということです。つまり、良い未来の予知は虫の知らせとは言いません。また、それは視覚的に直接的であったり、抽象的であったり、遠野物語のように何かの事象を象徴したものであったりさまざまです。一般の人が”虫の知らせ”を感じた時、悪いことが起きてから、「あれは虫の知らせだったんだ・・・・・・」と思い返すことになりますが、電話占いの霊能者は違います。虫の知らせの内容が抽象的であっても象徴的であっても、それが現実に何を予知したものなのかハッキリと認識する能力があるのです。電話占い弦の霊能者は、第六感といわれる感覚が並はずれて優れているため、虫の知らせの意味の本質を感じ、言葉として相談者に伝えることが出来ます。例えば、物見山を呑んだ話で仲間の武士に行き会わず、そのまま大徳院に行ったらどうだったでしょう。正確に切腹の恐れを指摘され、相談した武士はそれを避けるために注意を払うのではないでしょうか?そして、切腹は避けられたかもしれません。電話占いの霊能者に相談することによって、悪い事象は避けられる可能性は多分にあると言えるでしょう。

虫の知らせの理解

ところで、虫の知らせの“虫”とはなんでしょうか?
それは、三尸(さんし)と言われる、全ての人間の体内に宿っている虫のことです。三尸は人間の頭の中にいる上尸、腸内を棲家としている中尸、足を棲家としている下尸に分かれています。三尸は庚申の日(つまり60日に一度)に取り憑いている人間が寝ている間に体内から抜け出し、天帝にその人間の悪い所業を報告に行くのです。そして、天帝は知らせを聞いて、報告された人間の寿命を縮めるのです。取り憑いた人間が死ねば、三尸は鬼になることができるので、悪い報告のみを天帝に伝えるのです。
悪い知らせをしようと体内で三尸が蠢くような気持ちこそが、”虫の知らせ”と言われるゆえんです。三尸は、元来道教の考え方で、日本では平安時代から信じられています。庚申塔と呼ばれる石碑が関東地方に多くみられますが、これは三尸を体外に出さず、無病息災長寿を願う人々の気持ちの表れです。ちなみに、日光東照宮の”見ざる、言わざる、聞かざる”の三猿もこの庚申信仰を基にしています。庚申は字の如く”申(さる)”の日なので、悪いことを、見ないで、言わないで、聞かないで、という気持ちを、猿を使って視覚化した大変ありがたい彫刻なのです。このように、平安時代から江戸時代まで長く信じられてきた考え方なのです。

虫の知らせの特徴

虫の知らせと通常の予知との決定的相違は、シンクロニシティです。つまり、因果や意味のある一致性です。例えば、ある兵士が戦争で軍用のしっかりした背嚢の紐が切れたので胸騒ぎを感じていると、弟の戦死の報告が届きました。夜寝ていると明るい光が目の前を回り始め、翌朝電話の呼び出し音で目覚めると母が事故で亡くなったという内容でした。また、ある人は入院先で寺院に行く夢を見て、その人はたまたま心理学者だったので自分で分析し、自分は回復するが担当の医師は亡くなるだろうと結論づけました。そしてそれは現実になります。ちなみにその患者とは、心理学の大家・ユングのお話しです。
虫の知らせは、このように予知する側とされる側の何かしらの因果が関係していると考えられています。血縁関係や友人、ユングの場合は、医師と患者という関係性を持っています。それは信頼関係によって心がつながり、それが因果という縁で接続され、虫の知らせという事象として感じたり、背嚢の紐が切れるなどの物理現象にあらわれたりするのです。つまり、一般的に体験する事象は“原因となる事象によって、結果となる事象が発生する”のですが、虫の知らせは、“因果という意味によって、結果となる事象が発生する”のです。

虫の知らせの感じ方

虫の知らせは誰もが感じ取れるのですが、いわゆる第六感と言われる超感覚性にまで自分の精神を持って行かねばなりません。それは無意識に近い状態ですが無意識ではありません。通常人間は左脳で活動していますが、直感をつかさどる右脳を多く使うのです。電話占いの霊能者は、この右脳を良く働かせているといいますが、ほとんどの人は観念意識でものを考え、また動いています。 例えば、手に持ったボールを離せばボールは地面に落ちます。そう、それが当たり前と思う意識こそが”観念”です。その時に、”手を離したらボールはどうなるかわからない”そう考えたらどうでしょう。観念のハードルが下がり、脳は色々な状況を想定し始めます。その想定を物理現象ではなく、因果に求めると右脳は活性化し、第六感が芽を出すのです。電話占いの霊能者は、自らの意識コントロールの元にそれが出来ます。普通の人が、無意識に近い第六感を通常の状態で意識的に使うのは、かなり修練が必要です。しかし、電話占いの霊能者には、生まれながらに霊能力を持つタイプや、修行によって能力を持つタイプの人が存在します。そのような霊能者は電話で声を聞いたり、あるいは電話占いで相談者の話を聞いたりして、虫の知らせの体験に意識を接続して感じ取ることが出来るのです。
虫の知らせには、抽象的な事象や何かに象徴されるような事象が多くあります。せっかく第六感の芽を出して感じ取っても、その意味が解らなければ気にかかるばかりでなんの対応もとれません。不幸が自らに訪れるのを待つだけなのです。霊能者の知り合いがいる人は少ないと思います。しかし、意味を知るにはやはり話すことが大事です。電話占いをしている霊能者に相談すれば、虫の知らせの持つ因果を解いてくれるでしょう。